タイトルは、サマセット・モームの『The Circle(ひとめぐり)』という戯曲があり、そこに由来するものです。イギリス上流階級を背景とし、幼い息子を残し夫の友達と駆け落ちした女が30年ぶりに息子夫婦の屋敷に駆け落ち相手と共に招待されるところから話は始まります。さらに元夫やその他の招待客が加わりそこで繰り広げられる数日間の物語なのですが、何か特別なことが起こるわけではなく、噂話や過去の思い出、あるいは揺れ動く女心などに話は終始し、もっぱら人々の心情面でストーリーは進行していきます。しかし最後のオチとして今度は息子の妻が息子の友人と駆け落ちするという、探偵なしアクションなしのいわゆる通俗劇です。
よく動物園の行き帰りの電車の中で読んでいたのがモームの短編集で、特にこの『The Circle(ひとめぐり)』はタイトルを見た瞬間からおよその結末が分かってしまう潔さ(もしくは唐突さ)が好きで、制作過程のわりと早い段階から同じタイトルにしようと考えていました。ただ、「ひとめぐり」という戯曲の邦題については、時間的に限定されているうえ物事の完結感がなくもなく、私の写真集の趣旨とは少し違うような気がします。それよりは循環とか、円とか、あるいは「巡り巡る...」というように時間的に未完結なニュアンスをどちらかというと含んでいます。
というわけでタイトルの由来について述べるだけで(またHPや他でも写真集の概要については書いているので)、これで写真集のあとがきにしようかと思ったのですが、せっかくの機会でもあるのでこれまで紙幅の都合上、割愛してきた動物園での出来事とか動物園論などについてちょっとだけ書いてみようかと思います。
そう、実際のところ子供の頃から動物園は苦手な場所でした。 狭苦しい檻に入れられた動物たちの姿は、田舎育ちだった私にはことのほか不憫に感じられたようで、家の周りをうろつく自由気儘な犬や猫たちと比べては、帰りの車中でなんともいえないどんよりした気分になっていたのを思い出します。
そもそも子供の世界には動物があふれています。絵本やアニメはいうまでもなく、マンホールの蓋とかビールのカンとか、まわりを見渡せばマークやキャラクターなどに姿を変えた動物たちをいたるところで目にすることができます。
以前、興味本位で実家にあった『こどものとも』(福音館書店)の中で動物の登場頻度を調べてみたことがありました。1号から100号(2冊欠け)までのうち約60冊ほどが動物が主人公もしくは準主役か準々主役で、特に旅や冒険ものではお約束といっていいほど彼らはお供としてついて来ます。またストーリーには直接関与しないものでも道端の犬や家畜、あるいは空を飛ぶ鳥や草影の虫などというように何らかの形で絵の中に登場しています。むしろ動物の姿が皆無なものを探すことのほうが難しく、それが98冊中たったの3冊だったのには驚きでした。
だからそうした動物の世界に慣れ親しんでき子供が、いざ実際の動物園を訪れた時にいささかの違和感を感じるのは当たり前のことで、なぜならそこで動物たちは友だちでも従者でもなく、もちろん青と赤のサロペットを着てカステラなんかを焼いてはいません。しかしながらやがて動物たちとのふれあいの時期も過ぎ、成長とともに子供の興味の対象は移行していきます。電車とかゲームとか異性とか進路とか、けれどそれでも子供のころに慣れ親しんだ過去からは逃れられず、だから人々はペットを飼い当節流行りのご当地キャラなどに血道を上げるのではないでしょうか。その証拠に彼らはあくまで昔のように友達の体裁を維持し、なるべく悪さをしない扱いやすい類のものでなくてはなりません。
物事には夢と現実というものがあり、例えば人は見た目じゃないと言いつつも美人が大好きなお父さんの美醜論における本音と建前があるように、とうぜん動物と人間の関係性にもそうした表と裏の部分が存在します(建前=動物は友だち、本音=利用価値があるかどうか)。通常はそうした現実とのギャップに折り合いをつけて子供は大人になって行くものですが、そのあたりがどうも私の場合不得意だったようです。幼かったころある日の食卓で「トリが可哀想」と言って肉を食べない私に、「ニワトリは人間のために生きてるんだよ」と母が言い、その時母に対して抱いていた信頼感みたいなものが大きく揺さぶられたのを覚えています。
むろん子供のころから食育の一環として、屠殺現場を見学しましょうとは言いません。ペットは生きた愛玩具だなどとももちろん言いません。ただひとえに人間は夢を持ちたいだけなのです。茶色いタテガミに覆われた大型のネコ科の動物に生きながら肉体を貪り食われた残虐な記憶や、一部の地域では神の使いとまでされるあの人懐こいのんびりした顔の動物が、厩舎からトラックに乗せられるところから始まり各部位細かく解体されて、やがて食卓に上るまでの殺伐とした現実だけでは私たち人間は生きていけないのです。いくばくかの夢や幻想(ファンタジー)を持たなければ、生の現実(リアル)に押し潰されてしまう。すなわち夢と現実、本音と建前、その両方を兼ね備えているのが人間の世界であって、だからそれは良い悪いの問題ではなく他の動物とは違って私たちはそうしないと生きていけないとても弱い動物だったということです。言い換えるならば現実と幻想(ひらたくいえば嘘)の使い分けこそが、ヒト科の中で唯一ホモサピエンスが地球に君臨することになった理由の一つでもあるのです。
動物園の役割として博物学的、動物学的研究を目的とし、それに基づいて保護や繁殖を行い、さらに環境教育機関であると同時にレクリエーション施設でもあるというのが認識となっています。動物園は確かに現実社会に即した殺伐とした世界や厳しい自然の環境とも違うし、逆に絵本やディズニーなどのファンタジーの世界ともまったく異なります。いってみれば動物園とは夢と現実の狭間に位置するグレーゾーンであり、つまり私が子供の頃に抱いた怒りともいえないされど楽しいともいえないあの捉え所のない違和感こそがその正体だったのではないでしょうか。でもその部分があるからこそ、それがクッションの役割を引き受け両極の物事をどっちつかずな曖昧性でもって緩和してくれる。そんな気がします。
そうした夢と現実の狭間である動物園に2011年から私は頻繁に足を運ぶことになります。上野動物園に再来園したパンダを取材しに行くという仕事がそもそものきっかけだったのですが、しかしあまりにも混雑していたためにパンダ舎には辿り着けず、かわり私の目を捉えたのは町の左官屋さんが造ったみたいなセメントの小山を駆け回るニホンザルでした。そこでサルたちは人間模様ならぬサル模様を繰り広げていて、自分でもなにがどう面白いのか分からないままに、パンダそっちのけでずいぶんと長い時間そのサル山を眺めていた気がします。仕事以外で動物園を訪れた経験はそれまで数える程度でしたが、その日以来、まるでそれまでの時間を埋めるかのように私は暇さえあれば動物園を訪れたのでした。
その理由として一つには以前のような狭い場所での標本的な展示とはずいぶん動物園が変わっていたということがあげられるでしょう。そしてなにより私が大人になったということでしょうか(今更ですが)。
私自身、仕事の名前が「ぱんだ」(*注1)というくらいもともとが動物好きですから、天気のいい秋の日などは朝から晩まで園内をぶらついて過ごし、そこで新しく動物の生態なんかをガラスの向こうに垣間見たりすると、どことなく心が嬉しくなったりする。しかしそんなかもう一つ私を魅了したのがその動物たちを観にやってくる人間たちでした。
例えばこんなことがありました。それはオカピを見ていた時のことです。オカピは最近キリンの仲間ということになりましたが、細まかく見ていくといろいろな動物の要素が混じっていて見ていて飽きることがありません。そこに一組の家族がやって来ました。とにかく静かな家族でお父さんとお母さんと二人の娘はひたすら無言でオカピに見入っていました。時おり小声で耳打する程度で、ほとんど彼らの会話は私のところには聞こえてきません。いったいどんな家族なんだろうとちょっとだけ近づいてみると、お父さんが娘たちに話かける声が聞こえてきました。「ほら、パリパリバーみだいでしょ」。「パリパリバー」といえば皆さんご存知のとおりガリガリ君やモナ王と並ぶロングヒットの人気アイスです。オカピの脚の部分を凝視しながら思わず感心してしまいました。要はその家族がみななんで静かだったのかといえば、おそらくですが訛りを気にしてのことだったんじゃないかと思うんですね。
またある時はマレーバクの柵の前でその白黒の配置について観察していました。私の前にいるのは小さな女の子を連れたおじいさんです。女の子がつい今しがた通ってきたトンネルを指して「あれ、なあに?」とおじいさに訊ねました。見ればミスト状の白い霧がトンネルの出口付近に漂っています。園内にはそうしたところが各所にあって、さわやかな香りもして暑さ対策にはずいぶんと効果的です。そこでおじいさんは孫になんて言ったかというと、「消毒」と返した。まあ、確かにおじいさんはなかなかの高齢のおじいさんではあったのだけれども、結構そういう会話というのはボディーブロー状態でジワジワくるんですよね。
と思えば、プレリードックの柵の前で目をむき出しすさまじいボリュームで罵倒し合う中国人カップル、しかし巣穴を出入りするあまりに愛らしいプレリーの姿を見て、後方にいたなんの関係もない私と目を見合わせ、思わず三人で微笑みあったりもする。数秒前の傲慢で怒れる同胞殺しは、アメリカでは牧草地や畑を荒らす害獣として名高い小動物に癒され、さらにアジアの隣人の同意に気を良くした模様。
またサマーナイトと呼ばれる夏の夜のイベントでは、終園間近になってある親子がライオンの檻の前にやって来ました。二人とも色鮮やかなディズニー袋を重たそうに抱えており、一日で二ヶ所のレジャーを回るなんてなかなかのツワモノなどと感心していると、「あ〜あ、なんか汚なくてあんまかわいない、小っこくてよう見えんねぇ〜」。
かたやこちらは生まれた時から無条件で人権を保証されていて、かたやあちらのライオン達はこんなちっちゃな極東の島国まで無理やり連れて来られ、そのうえ時間外の労働までさせられている。文句一つ言わず遠くを見つめる茶色い澄んだガラス玉のような瞳が一層悲しさを引き立てます。人間であることと非人間であること、その意味を深く痛感せずにはいられませんでした。でもそれが例えば母親の二重顎と顔中の毛穴が下からのハロゲン灯で浮かび上がる夏の夜ではなく、せめて上方からの陽が降り注ぐ日中であったなら、もっとおおらかな気持ちでその親子を見守ることができたのでしょうか。ほんの少し前までは葉っぱやら木の実やらを食べながらひっそりと樹上生活を送る弱々しい動物だったのに、いつから立場は逆転したのでしょう。
動物園には人間と動物の世界が存在します。その二つを隔てているのは「人間」と「それ以外の生き物」といった生物学的認識のほかに、檻や柵、あるいは強化ガラスなどの物理的な仕切りです。特にその後者なくして動物園は機能しません。そしてそこには圧倒的な力の不均衡があり、なぜなら動物園は人間が人間のために造ったものだからです。けっして両者合意のもと歩み寄ってそこに塀をつくったわけではなく、あるいは住み分けによってなんらかの境目が自然発生的にそこにできたわけでもありません。その境目は例えば被写体と私たち撮影者を介するカメラの有り様とよく似ていて、その存在によって普段はだらだらと区切りなく広がっている世界があるひとつの事象や物事として顕在化され概念化されるのです。(*注2 補足あり)
そこに立ちその境目を意識しながら私は柵のこちら側の人間である自分と、柵の向こう側の生き物としての自分を同時に意識します。一つの身体の中に共存するその二つの感覚、その感覚を深く心に刻み付けておきたいと思うのです。
えてして私たち人間が勝手に作り出した境界だけれども、はからずもそれが奇妙な効果をもたらす時があります。日向ぼっこに精進するカメ池を遠景に、柵のこちら側を行き来する友人たちはひどく忙しなく、さながら映像の早送りのようで、むしろ柵の向こう側のほうがリアルに見えてくる。気持ちのいい春の陽光にじわじわと伸び出るイシカメの首、その数センチが少なくとも人間の定めた一分とか一秒とかではない特別な時間の感覚を私にもたらしてくれる。向こう側の確かな時の感覚。そうした体験は時間とか空間を飛び超えた特別な記憶を呼び覚ましさえします。最後にそのことについてお話したいと思います。
私はいつも上野動物園には上野公園を通って向かうのですが、その時なにか心がざわざわと波立つ感覚に襲わる時が多々あって、それがなんなのかしばらくの間わからずにいました。さらにそれと似たような感覚を園の中でも感じることがあり、たいがいそれは秋か春の晴れた午後なのです。ある日どこまでも澄んだ秋の太陽が少しづつ傾いていく時間帯、いかにもよそ行きといったスーツ姿の老人が娘や孫に導かれ、まさに午後のまどろみを彷徨うドールの柵の前を通り過ぎたその瞬間、金木犀の香といっしょに吸い込んだ少しだけ冷たい空気とともにそれはよみがえってきました。そう、まぎれもない祖父の記憶でした。
あれは二十年近くも前のことになりますか、祖父母が東京見物に上京した時のことです。上野公園の西郷さんの像の前で祖父母と妹の四人で記念撮影をした後、その足で動物園を訪れたのです。他にも浅草でてんぷら屋に入ったり、はとバスに乗って都内を巡り東京タワーに登ったりしました。その記憶は長い間しっかりと封印されていたらしく随分と真新しく、祖父はよく食べよく笑い東京見物を満喫していたようでした。ただそれは最初だけで、祖父は幼い頃に小児麻痺を患い片足が不自由で、田舎の田んぼや畑の柔らかな土の上であれば支障なかったのですが、アスファルトで固めた都会の道はいかんせん祖父の足には硬すぎたのです。湿布を何枚も貼って歩いていましたが、とうとう最後の日は私のアパートで私たちの帰りを待つほどでした。我慢強い祖父のことだから、相当な痛みだったでしょう。勾配のきつい硬い動物園の歩道をびっこを引きながら遅れて付いてきた姿が思い出されます。そして、それからほどなくして祖父は逝ってしまった。父や母は祖父は十分楽しんでいたから大丈夫と言っていたけれど、じいちゃん子だった私はとにかく心残りで仕方ありませんでした。
動物園に対する苦手意識は幼少期からのものとばかり思っていましたが、それ以上にあの時の祖父の記憶が大きく関わっていたとは夢にも思わなかったことです。目の前をつるっとした頭が横切るたびに、穏やかな安堵の念とともにひとかけらの心の痛みを噛みしめ思わずシャッターを押してしまうのは、あの時の祖父の影を追ってしまうからなのかもしれません。
*注1) パンダブームが巻き起こった70年代に幼少期を過ごしたためか、パンダには異常なほどの愛着があり、それが高じて数年前には四川省のパンダ保護区を何度か訪れ、その時にまとめた写真集が二冊ほどあります。そもそも名前の「ぱんだ」はパンダ好きだからという心底単純な理由によるものですが、一方で写真を始めた頃モノクロが好きで、そうした比較的真面目な意味合いも込めたつもりでした。しかし写真とは白と黒だけではなくグレーの領域もあるわけで、そのあたりがちょっと早とちりだったかなあとひそかに反省する今日この頃です。
*注2) 一枚の写真の中で人間と動物、そしてその両者を隔てる檻という三つの存在を、それぞれ別の三つの層(例えばPhotoshopのレイヤーのよう)としてとらえています。それは近景、中景、遠景で構成される「Planet Fukushima」と同じ視点で、つまり人間と動物を隔てる(中景の檻)の存在は「Planet Fukushima」においては(近景の人間)と(遠景の風景)を分断する(放射能)の存在ということになります。